【身土不二の原則に従う!】
マクロビオティックの創始者・桜沢如一が、『食養人生読本』
と題して、『食養から考える幸福論』
を解説する1冊。
書籍の紹介文
あなたはなぜ、人は病気になると思いますか?
病気を治すにはどうしたら良いでしょうか?
自然の道をふみはずした人がみな病気になる人です。
健康は自然なものです。決して人工で作り出すことはできません。
自然なものはいつでも最も簡素なものです。
それに従うこと、それを取り入れることは最も自然な、最も簡単なことです。
と筆者は説きます。
本書は、食養(マクロビオティック)について解説する一冊。
小手先の健康法ではなく、真の食養とはどういうことかが理解できます。
生前から当年期までの世代別の食養法が分かります。
【要約】15個の抜粋ポイント
❶食欲あるがゆえに私どもは生きてゆくことができるのですから、生きてゆくことに感謝のこころをもっている人々は、食欲に、あらためて感謝するがよいでしょう。健全な食欲がある、ということは、どんなにありがたいことだか、分りません。いかに粗末なものを食っても、おいしく感じる人だけが、健全な食欲をもっている人です。いつでも適当な食欲をもっていることほど幸せなものはありません。われわれは、いつでも健全な適当な食欲をもつように心がけねばなりません。この心がけを教えるのが食養法でありますが、この食養法を正しく守っていますと、正しく異性を求める心がわいてきます。
❷すなわち男子四十八才、女子四十二才くらいで、正しい人間は色欲の強力な支配から解放され始め、肉体的、物質的有限な生活から、精神的な無限の生活への第一歩を始めます。すなわち、限られた肉体のたのしみの世界から、限りのない精神的な楽しみの世界へ転向するわけです。が、この精神的生活は、永遠の世界で、平和と自由と光に充ちているのです。不幸なのは、この世界に入らず、一生、色と食の欲の海に沈没してくらす人々です。いっさいの物質的な欲望は、色食の変形です。
❸自分の一生を幸福にしようと思えば、女は『必ず愛される』努力をすること、男は『あくまでも愛する』努力をすることが肝腎です。それには、食養が唯一最上の武器です。結婚生活は『幸福の工場』であり、『愛の道場』である!この『幸福の工場』に入らんとする労働者は、必ず『食養』のハンマーを固く握れ!この『愛の道場』に入らんとする求道者は『食養』の作業服で身を固めよ!
❹つまり、幼年、少年、青年の食養は、できるだけ『厳格な正しい食物』をとる、ということです。栄養学者の本や、新しい育児法、健康法、衛生の本を見ますと、なかなかむずかしいことが書いてありますが、食養では、ただできるだけ『簡単な、質素な、正しい食物』を与えるだけで万事オーケーなのです。
❺内地にいる日本人は原則として主に植物食をとるべきですが、肉体労働に従事する者(または時)は動物食を多少とってもさしつかえがありません。ただし短時間に激しく体力を要する仕事にしたがう人々は、動物性食品(主として水産物)を全食量の一割くらいまでとることが許されます。もちろん、摂らなくてはいけない、というのではありません。精神労働者(事務員、著作家、学者、学生、重役、宗教家、いっさいの指導者等々)はだんぜん植物食を主とするのがよろしい。そして努めて動物性のものをさけることです。
❻食養法は菜食法でも肉食法でも、もちろん禁酒禁煙でもありません。それは、食物の一部分を否定したり、尊重したりするものでもなく、戒律を主張するものでもないのです。そんな人間的な小さな立場を捨てて大きな環境――それは時間と空間の世界、すなわち生物学的世界以上の、無限の物理的世界、生命以上の世界を含めたもの――を認識、体得することなので、戒律でも規則でも約束でも修養でも学問でもないのです、新しい意味の自然主義家なのです。
何を食っても大自然のある限り健康で生きて行ける方法を教えるものです。自然、大自然(神)の与える食物を何でも頂いて、健康に、楽しく生きて行くことのできる実際的な方法なのです。原則として、その土地の食物の伝統を尊重すればよいのです。そんな簡単なことで健康が保証されたり、病気が治ったりして、活動ができるものか?という疑いをもつ人々は、広く大自然界を見ることであります。人間以外の世界には健康と幸福の歌が絶えずオーケストラをやっています。
獣肉や、砂糖や果実をとる必要はまったくありません。嗜好品として、あるいは薬用として時に少量をとることだけは許されますが、日本内地である限り必要品ではありません。この中でも最も自然に遠い砂糖が最も恐るべき効果を与えます。これらはいずれも活動期の大敵です。かくのごときものを常に要求するのは、すでに中毒しているので大いに警戒を要します。酒やコーヒーをしきりに要求するのも、食養家でない証明です。正しい食物を正しくとる人は決して、そんな味覚の刺激を求めません。そんな刺激を求めずにいれない人は不自然な興奮を必要とする人で、すでに病人なのです。
❼健康の六大条件中、はじめの生理的な三条件
――「疲れない」
「御飯がおいしい」
「夢のない、深い眠り」
❽食箋は病気を治すための食物を教えるもので、病気が治ったら身土不二の原則によって、その土地にできるものを何でも正しく、巧みに配合して食って絶対に二度と病気にならないような体質を作りあげて行くのが食養です。そして、そんな「健康」が確立されたら、もう何も恐れることはないのです。まれに御馳走を頂いたり、珍味佳肴を飽くまで食べたってビクともするものではないのです。酒ものめない、煙草ものめない(のまないのでなく、のめない!)、肉も食えない、果実も頂けないというのでは片輪でしょう。
のめるけれど、飲まない。食えるけれど食う必要を認めないから食わないが、食わねばならない時がもしあったら、それを飲み、かつ食ってもビクともしない、というような体格を作るのが食養です。「食養」は「べからず、べからず」の消極的な戒律でなく、積極的な、何でもやれる体格を作るのが眼目です。それは創造的で、積極的で、芸術的で、哲学的で、しかも宗教的でさえある。
❾老年期というのは、食養から見て、まず七十才以上でしょう。
過去二十余年の食養体験、研究から、そして多くの年老いた方々の指導の経験と観察から申し上げるならば、だいたい次のようなことになります
――(一)青年期、壮年活動時代に比べて、グット塩気をへらすこと
(二)なるべく淡白なものをとること
(三)植物性油は絶やさぬこと
もちろん、これは健全な食養家としての壮年期を送り老年期に入った人々の心得です。老年に特別な食事というものはありません。少年、青年、成年時代を食養的に送った人は心の欲するままに何を頂いてもさしつかえありません。別に注意をする必要がないのです。数十年の食養は人間を完全にしています。生理的のみでなく、心理的にも、経済的にも……つまり幸福な心境と境遇に身も心も静かにおかれているのです。
老年期の食養は、要するに「自然に最も近く生きること」すなわち完全な食養をすることであります。冬は寒さに親しみ、夏は暑熱を楽しみ、春は花を賞し、秋は月を歌いつつ、一生の収穫にいそしむ楽しさは格別平和な心境でしょう。老年期は一生の清算時代です。最も深く自然の懐に抱かれ、小我を忘れ、大我の法悦に浸るときです。食養家の老年こそ人生の最も平和な幸福な時であります。
❿まず最も治すのにむずかしい病気から始めようと思います。それは私の過去三十余年間の経験から見て最もむずかしい病気です。いつでも私はこの病気に対するといちばん苦労します。これは、怠慢、ずぼら、無精、無礼という形式で知られています。が、実は傲慢不遜という人間の業病です。この病気に取りつかれている人は感激がありません。感謝を知りません。感謝の色盲です。礼儀を知りません。無慚無愧です。
食物を正しくして病気を治すのは、その食物を正しくすることによって『心』の『魂』の病気を治すことが目的なのです。これが直くならなければ肉体の病気は直らない。また、肉体の病気は心の病気の救いを求める信号なんですから、その信号をもみ消したり、その信号の苦しみだけをなくしたりするようなことは意味のないことでもあり、罪に罪を重ねるようなものでさえあるのです。
食養を病気を治すもののように思っている人があります。こんな人は助かりません。食養は痛みや苦しみを止める薬や手術ではなく、その痛みや苦しみの源を取り去り、二度とそんな目にあわずに、幸せな、輝かしい、健やかな人生を送る方法を教えるものです。
かくのごとき「心境」を開くことが食養であり、「病気を治す力」である。「病気を治すもの」は食物であるが、その「もの」を見分けるのはこの「こころ」である。だから、病気は、(自分の病気にもせよ、他人の病気にもせよ)「食物」によって治るが、この「こころ」の力を同時に与えることができないなら治す必要はない。病気はこの仕合せの根本である「こころ」を知らしめるために与えられた神の恵みであるから……
⓫食養を知らないことがこの世で最大の不幸なのです。一円のお金のありがたさも知らない人は不幸な人なんです。健康のありがたさを知っている人こそ幸せなので、それを知らない人はいかに健康でも不幸です。それさえ真実に知ったら、もう死んでもいいのです。こんな心持ちになると、不思議にお金もできます、健康にもなります。
⓬人間を健康に、幸福にするには、できるだけ自然に近い、親しい生活をさせることです。自然な生活をさせること、自然を生きさせることです。ここに食養療法の秘密があります。人間は食物によってのみ生まれ、生存し、活動することができるのですから、まず自然な食物をとるように心がけ努力しなくてはなりません。その自然な食物とは何であるか?人間にとって最も自然な食物を、われわれは最も正しい食物と言います。この最も正しい、最も自然な食物を教えるのがわが食養法であります。
⓭つまり、自然の作ったもの、ことに生命のあるものは、一見実に簡単であって、しかもトテモ複雑なものであり、人間の作ったものは、一見いかにも複雑な形をもっていても実は非常に簡単なもの、幼稚なものです。健康も大自然の神様の作られるものです。われわれはその複雑さを深く蔵した簡素な形をそのまま受け入れ、それを楽しみ、それを感謝し、賛美して行こうではありませんか。
⓮食べ物が第一なのです。生命のもとは日光と空気と水と、それらの結晶である食物です。ホントーに自然に還る唯一の道は正しい自然な食物をとることよりほかにはないのです。
⓯食養にとらわれてはいけません。食養は自由自在なものです。この世で食養を実行するのに困難に出会うような人はまだまだ食養の分らない人です。ナカナカです。食養はいかなる世界においても、いかなる境遇においても、いかなる不安も、恐怖も困難ももつものではありません。食養をいかに完全に実行したって、それを一歩も離れることができねば、それは猿真似です。食養の原理、無双原理、宇宙の秩序をつかまえなくてはダメです。
何を与えられても、何を食べても絶対に健康で、些細な不安、恐怖の陰さえもたないような境地に達しなくてはダメです。自分で自分の生命を操縦せよ!自分の命を一生、食箋に託するようでは、自分の命だか他人のだかわからないではありませんか。
【実践】3個の行動ポイント
✅砂糖を断つ!
✅ハレの日以外、極力動物性のものを食べない!
✅感謝を忘れない!
ひと言まとめ
『身土不二の原則』を守ることは『幸福の保険』をかけていることと同じ!
書籍情報
【書籍名】食養人生読本
【著者名】桜沢如一
【出版社】日本CI協会; 刊行会版
【出版日】2014/10/10
【オススメ度】★★★★★
【頁 数】274ページ
【目 次】
第一課 恋愛について
第二課 結婚について
第三課 家庭、妊娠、分娩、育児
第四課 幼年、少年、青年時代と修養時代の食養
第五課 活動時代の食養
第六課 老年期の食養
第七課 病気について
別課 食養にこだわるな
第八課 食養療法の秘密薬
第九課 真理は簡単なり
第十課 病気はキット治るということ